2011年5月26日木曜日

baguette angel (天使の棒)


アイスランド火山灰を避ける航路にて、少し飛行機遅れたけど無事に帰国しました。

フランスを発つ日、ギターを売るためトゥール市内の楽器屋CAP Musicへ。

「私のこと覚えてますか?このギター売りたいんだけど。」
「イェース。もちろん覚えてますよ。」

ギターを上下逆さまにしたり裏返したり、水平にして遠くから見たりして、隈なくチェックして査定するムッスュー店主。

「買取よりも交換の方がレートがいいんだけど、どう?他に欲しい楽器はない?ウクレレとか?」

レジの近くのスペースには、いろんな色やサイズのコンサルティーナやボタン式アコーディオンが高く積まれている。

「う、うーん、、、欲しい楽器はあるけどスーツケースがすでにいっぱいなんです。ウクレレはもう持ってるし・・・・・そうだ!小さいグロッケンはありますか?」

ムッスュー店主が出して来てくれたのは、Bergeraultというブランドのブルーのグロッケン。Bergeraultはアンドル=エ=ロワール県内のメーカーであるとのこと(トゥールはアンドル=エ=ロワール県の県庁所在地です)。今や鍵盤パーカッションのメーカーとしては世界有数であるとのこと。

試し叩きさせてもらい、グロッケンのバチのことはbaguette angel(天使の棒)って言うんだよ、というお話などを聞いていたそのとき、しばらく前から私のやりとりが終わるのを待っていたお客さんのおじいちゃんが、鞄から何やら取り出して見せてくれる。

二つの写真。ひとつは、野っ原で大がかりな創作楽器に囲まれてひとりアコーディオンを演奏する白髪紳士の写真。ヴァイオリンが4つ並んだ大きな箱が紳士の後ろに3台。ヴァイオリンのネック部分に、長さの違う金具のようなものが設置されている。アコーディオンを持つ紳士の前にはドラムセット。左手に木琴と鉄筋が2段になったもの。右手にオルガンに似た鍵盤楽器。この、ひとりオーケストラプレイヤー紳士こそ、Bergerault社の創始者ムッスューAlbert Bergeraultその人であった。Albert氏がアコーディオンを弾くとすべての楽器が連動して音を奏でるのだそうだ。

もうひとつは、お客さんおじいちゃん本人が演奏している写真。創作楽器はAlbert氏のよりはずいぶん小ぶりだけど、やはりドラムセットを前にしてアコーディオンを弾いている。お客さんおじいちゃんPaul Gilbert氏、御年84歳とのこと。今日修理に出すため持ってきた楽器(タンバリンくらいの大きさのスネアドラムに似た太鼓)も、Albert Bergerault氏に特注して作ってもらったんだそう。「この楽器を演奏できる者は世界でもなかなかおらんよ。ウォッホッホッホ。」携帯のカメラでいっしょに写真を撮ってもらった。

というわけで、ブルーのおもちゃグロッケンは日本へ運ばれることに。出発の電車の時間がせまっていたのであわてて梱包。ムッスュー店主のアドバイス通りに、鉄の鍵盤は全部外してひとつにまとめて、本体の木の枠は衣服にはさむようにして。

シックなブルーのおもちゃグロッケンcarillon(カリヨン)。早朝パリに行く時電車の中から見えた、鏡のように静かなロワールの川面を思い出させる、キーンと澄んだ音がします。

↓お世話になったトゥールの楽器屋さんCAP Music
http://www.capmusic.fr/

↓Bergerault USA
http://www.bergeraultusa.com/

2011年5月24日火曜日

HOHNERのギター


トゥールで買ったHOHNERのギター。背中の真中にも中華っぽい模様の線が一本入っている。

これから売りに行きます。

これまでいっしょにいてくれてありがとう。

ギャンゲットのお化け柳


みんながギャンゲットと呼んでいる、夏だけオープンするロワール川のほとりのカフェ。ギャンゲットの意味は・・・こんど調べます。

色とりどりのキャミソールドレス、仮設トイレのかんじとか、ちょっと葉山あたりの海の家のような雰囲気。

真中に屋根みたいにある大きな柳の木が、強い西日を遮り、風に吹かれてゆらゆら揺れる。夜は酔っぱらった若者たちでにぎやかになる。

Une Chanson Douce

友人カップルの家に夕食に呼ばれに行く。年の離れたカップル、陽庵(ヨーアン)と麗茶視亜(レティシア)。名前の漢字は私が作っためちゃくちゃ当て字である。自分の名前を日本語で書いてくれる?と外国人から頼まれるとき、カタカナよりも漢字を書いてあげた方が喜ばれる。そのときに、「麗」はとてもとても美しいことで、「亜」はモンゴルのような広大な土地を表し・・・とか占い師のようなことを言ってあげると、さらに喜ばれる。一昨年からの短い海外滞在で私が覚えたことといえば、そんなことくらい。

前に遊びに行ったとき、ジュ・テーム、ジュ・テーム・・・目を離した隙に何回も、1時間のうちにも何回もほんとうに言い合っていた、あの熱々さはもうないみたいだけど、相変わらず仲の良いふたり。アンリ・サルヴァドールの曲の発音をレティシアに教えてもらったときからずっとかかりっぱなしだったアルバムの「Une Chanson Douce」という曲が流れて、この曲は子守唄で子供はこの歌を歌うところっと寝てしまうんだ、と目を潤ませるヨーアン。窓の外にはほんのりピンク色が残る夕焼け空が見えて、カモメがときどき鳴いた。カモメは同じトゥール市内にあるトガゼンの家の方では見ないのだけど、北側のロワール川か南側のシエール川、どちらかからやって来るらしい。

2011年5月19日木曜日

まぶしい。

マクドナルドには毎朝9時頃来るのが日課になっている。今朝は夢見が悪くなかなか起きれなかったのでかなり遅刻。年金生活者らしき常連さんのおじいちゃん達。今日も来ている。私の席からは見えないけど、今日は4人、かな。店内に響きわたる話し声。とてもゆっくりしゃべるので、すこーしだけ聞き取れる。知り合いの噂話をしているみたい。あんなに仲良しそうなのにvous(丁寧な2人称「あなた」)でしゃべってる。「今日は何をしようかな。あなたは何をするの?」あ、口笛吹き始めた。上手だなあ。

ここ数日夏のようなお天気が続いていたが、今日は特に暑い。パソコンの画面から店の外に目を移すと、まぶしくて目がチカチカする。女の子もおばさんもおばあちゃんも、キャミソール率非常に高し。ボンッとした胸の谷間をつい目が追ってしまう。まぶしい。

2011年5月16日月曜日

l'echo de la cuisine

知人宅で演奏するため、ダイニングキッチンで家庭内リハ。帰国後のライブでやる曲のアレンジ打ち合わせをしつつ。この部屋の鳴りが好きだ。絶妙の量と長さのリバーブがかかる。床はタイル貼り。流しやコンロのある壁一面の一部にも別のタイル。他の壁はたぶん木とコンクリート。天井に通気口と思われる穴が開いていて、どうやらアパートの屋根の上の煙突とつながっているらしく、雨が降ると雨だれの音がボワ~ンと反響して聞こえる。雨が降り出すときはまず通気口から聞こえる音でそれとわかる。煙突の上に鳩が止まると、鳴き声がボッホーボッホーとこれもまた通気口から響いてくる。

2011年5月12日木曜日

pas "pas ca va"

トゥール市内では珍しく昼休みも取らず日曜日も空いている近所のエピスリ(食料品屋さん)。店主のおじさんはフランス語をほとんど話せない私にもいつもニコニコしてくれて、とても感じがいいのだが、今日初めて話しかけられた。「あなたは日本人ですか?どお?大丈夫?あなたの家族やなんかは。」「んーーー、日本は大丈夫じゃないんだけど、私の家族と友達は元気です。どうもありがとう。」「そう、それはよかった。見た目だけだと日本人か中国人か韓国人か、わからないからね。日本人はgentil(親切な、優しい)だよね。」その後にもう一つ、日本か日本人について何か温かいことを言ってくれた、と思う。聞き取れなかったが。

お店を出てから、「日本は大丈夫じゃない」はちょっとあんまりだったなと、どよーんとした気持ちになる。東北沿岸部が大きな被害を受け、今は日本にとって大変なときだ。でも私の家族と友達は元気だ。そこまでは言えるようにしよう。とりあえず。

2011年5月11日水曜日

イチゴと白アスパラガス

日曜日。マルシェ・ヴェルポーへ。トガゼンの家から徒歩3分くらい。マルシェの八百屋さんのかなりの面積を、白アスパラとイチゴが埋め尽くしていた。先週はもっと白アスパラが多かった、今週はイチゴが台頭してきた、とトガゼン。白アスパラは大きさや形によって少しずつ値段の違うのを7~8種類くらい置いている店もある。冬の生牡蠣みたいに。新潟の枝豆みたいに。緑のアスパラも量は少ないが旬、というかんじで並べられている。白アスパラは高価なものほどぷっくり肥っていて、緑アスパラは皆ひょろっと細長い。

八百屋さんの一角のスペースで、売り場に埋まるようにして演奏しているバンドあり。ドラム1+アフリカ系パーカッション3+大鍋を叩きながら歌ったり叫んだりする男1。隣のテーブルでは女の子がものすごい量のトマトと何かのハーブを刻んでいる。どうやら、演奏しながら大量のスープを作る、という企画らしい。演奏はとても素敵だった。白い人黒い人入り交ったアフリカン・リズム。トガゼンがじゃがいもを買いにいっている間じっと聴いていたら、大鍋叩き男に腕をつかまれて、バンドの中に連れて行かれてしまった。ジャンベの人の隣に座らされる。「Ca va?」「Ca va.」しょうがないのでにっと笑う。ハイハットだけのリズムに合わせて、ジャンベの人の即興の歌が始まった。それから、木琴の涼しげな音。空は青空。


じゃがいもを下げたトガゼンが戻ってきて、「あ、ダンナが戻ってきたから彼女を返さなくっちゃ」というようなことをたぶん言って大鍋叩き男、私のほっぺたにブチュー。「日本人ですか?サヨナラ~」「さよなら。ありがとう。よい一日を!」あのあと、どんなスープができたんだろう。家に帰ってからも、アフリカン・バンドの音は午後しばらくのあいだ聞こえていた。


白アスパラは、ソース・ムースリーヌ(source mousseline)という泡立てた卵白が入ったフワフワのマヨネーズソースで頂きました。お刺身みたいな味。










2011年5月10日火曜日

くちぶえ鳥


土曜日。一日中家で仕事。窓を少し開けているので、鳥の声が聞こえてくる。日本のと違う鳥の声。ピューイピューーーピュピュピューイピュ~ゥ。ひと際よく通る美声は、アンリ・サルヴァドールが口笛でまねしてるあの鳥だ!「Maladie d’amour」のイントロ。鳩は日本のよりも太いダミ声で、えばったおじさん風。

日曜日。夕方、サン・ガシアン大聖堂の裏のお屋敷街を散歩しているとき、美声の主を目撃!まっくろくろすけで黄色いくちばしのblackbird。お屋敷の高い屋根の上でひとしきり鳴いたあと、歌い終えましたからねというかんじで飛んで行った。まっくろくろすけ鳥は2年前にイギリスのプリマスでも見た。ビートルズの曲に出てくるblackbirdってこれかあ、とそのときも感動したのだったが、こんな美声だったとは知らなかった。Blackbird---日本語名はクロウタドリ、フランス語名はmerle(男)。

土曜日の晩ごはんは、トマトのファルシーとタルティフレット(ジャガイモのグラタン)。トマトのファルシーはフランスお惣菜屋さんトレトゥールの定番で、南仏出身の料理。いろんなものを詰めるらしいが、この日詰められたのは豚肉、かなり粗挽き。ハーブとかも入っているらしい。オーブンから出たての熱々は、トマトの果汁と豚の肉汁がじゅっとなってショーロンポー的旨味があり、美味しかった。

2011年5月8日日曜日

白いふわふわしたものがたくさん舞っている。


お昼休みの時間を狙ってフランス語学校Tours Languesを訪ねるつもりが、寝坊してしまったので延期することにして、街中をぶらぶらする。2か月ほど前からトラム(路面電車)の工事が始まっていて、トゥールの街はいま落ち着かない。駅前のマクドナルドの脇でもショベルカーがドドドドドドとけたたましい音をたてていた。日本からの仕事、インターネット接続のよいマクドナルドでするつもりでいたのだけど、時間によってはうるさくて無理かもしれない。

9月にトゥールで買ったHOHNERの安ギター、買ったお店に売って帰ると心を決めて来たのだけど、触っているうちに揺らいできた。最近練習しているアンリ・サルバドールの曲の、ウクレレを弾くように人差し指を上下させて8分音符を刻む奏法、もったりしてなかなかうまくいかなかったのが、このギターだとシャカシャカシャカと爽やかな音が鳴ったから。ギターではなく乾いた気候に因るものかもしれないけれど。普通のギターより少しだけ小さいサイズも、ボディの明るい色も気に入ってるし。うーん、、、

写真は、街の目抜き通りRue National辺りのロワール川。川は橋の下のところで少し段差になっているから滝のような音がしていて、気持ちがよい。橋を渡ってしばらく北に歩いたところに、トガゼンがスタージュ中のトレトール(お惣菜屋さん)「三匹の子豚」がある。川沿いをしばらく歩く。タンポポの綿毛みたいな、羽みたいな、白いふわふわしたものがたくさん舞っている。粉雪みたいにも見える。街中にも舞っているのだけどこっちの方が多いみたい。植物の何かだと思うのだけど、正体はまだわからない。

眉間に斜めの皺がくっきり出来ていた。

朝7時前にうちを出る。出がけに慌ただしくしてしまい、鍵をちゃんと閉めたかどうか電車の中で不安になり、大家さんに連絡して確かめてもらう。鍵は閉まっていたとのこと。飛行機は全日空。いちばん安かったので。日本の飛行機で外国に行くのは初めて。メニューの写真を見てから食事を選べるなんて!映画やドラマの種類がたくさんあって、夢中で観たので寝る暇なし。ごはんのときは松田優作探偵物語。王様のスピーチとMidnight DJという韓国のサイコスリラー映画が特に面白かった。Midnight DJは息つく暇ない展開。終わった後トイレに入って鏡を見たら、眉間に斜めの皺がひとつ、くっきり出来ていた。

シャルル・ド・ゴール空港に着き、TGVに乗るためターミナル1からターミナル2へCDGVALというおもちゃみたいな電車で移動する。車内に貼ってある路線図、薄いオレンジ色と水色を使ったデザインの、垢ぬけていることよ。楽しい気分になる。半ガラス作りの国鉄SNCFのロビーには、光がさんさんと注いでいる。足をテーブルの上に投げ出して新聞を読む人、クロスワードパズルをする人、おしゃべりに夢中の家族連れ・・・フランスのTGVは日本の新幹線と違って本数が少ないから長時間待たなくてはいけないのだけれど、わたしたち待ってる間も楽しんじゃうもんね的ヴァコァーンス的空気がもや~っと立ち上っていた。ビジネスマン風の人もけっこうたくさんいるのではあるが。ああ、フランス。

途中鉄橋の上で長時間止まったり、すこーしずつ遅れながら、電車は無事にトゥール駅に到着。夜9時頃。まだうっすら明るい。約2カ月半ぶりに会うトガゼンは、むく犬みたいな髪型になっていた。準備してくれていた晩ごはんをありがたく頂く。タブレ(クスクスのサラダ)、パテ・ド・カンパーニュ、舌平目のムニエル白いバターソース。パテ・ド・カンパーニュまででお腹がいっぱいになってしまったので、舌平目は翌日に作ってもらった。写真がそれ。舌平目は臭みがなく柔らかくとろっとしていて、白いバターソースには白ワインヴィネガーやレモンが入っていて爽やか。美味しかった。

2011年5月3日火曜日

びよ~んとならなかった、、、




アスカちゃんがやって来て、アリゴ、ローストポーク、フォカッチャをいっしょに作って食べる。
例によってワインをちびちび飲みつつ、例によってガールズトーク爆裂。
アリゴ(aligot)というのはフランスのオーヴェルニュ地方のチーズとじゃがいもを使った料理で、フォカッチャもじゃがいもを使うので、なんとなくイモイモ・デー。大家さんちのローズマリーをチョキンと頂戴して、ポークとフォカッチャに使う。

アリゴの出来上がり、両手をいっぱいに伸ばしてもびよ~んと切れないアレ、をもちろん想像してわくわくしていたのだけど、出来上がったものはねっちょりしたやや黄色いマッシュポテト。ほとんど伸びず。むー。不完全燃焼。敗因は、いもが茹であがった時点で話に熱中したため冷めて、裏ごしがうまくいかなかったことか?生クリームを省いたことか?アリゴに使うトム・フレーシュというチーズを取り寄せた神楽坂のチーズ専門店アルパージュの説明書きには、トム・フレーシュは季節により伸びにくいことがありますので、そのときにはモッツァレラを少し混ぜてください、と書いてあった。いっそのこと全部モッツァレラで作った方がびよ~んはうまくいくような気もする。

私は常日頃、フォカッチャのことをフォッカッチャとついつい発音してしまうのであるが、アスカちゃんも同じだと聞いてとてもうれしくなった。あと、イタリアのアイスクリームのカタカナも難しい。ジュラードだったかジェラードだったか。それは私だけ、か。

一人暮らしもあともう少し。地震の直後はたいそう心細かったが、終わるとなると愛おしく、噛みしめるように暮らしている。

2011年5月1日日曜日

浅草へ


友達の友達の北アイルランド人ご夫妻の東京観光に半日ほどお付き合いすることになり、浅草へ。雷門で待ち合わせ。

浅草といえばこれまでジャパン・パーカッション・センターと神谷バーくらいしか知らなかったのだけど、雷門から浅草寺までのエリアは、日本がぎゅっと凝縮したテーマパークみたいになっていることだなあ。shinto shrineはないの?と聞かれたので、あとは鳥居があると完璧なのかもしれない。探せばどこかにあったのかもしれない。

参道にびっしり並ぶおみやげもの屋さんの日本グッズはほぼ見るだけにして、聡明な友達の案内で浅草ROX内の100均ショップへ。土地柄か日本グッズの品揃えすばらしく、扇子もたくさん種類があったし、浮世絵風の絵がプリントされた手ぬぐいや、招き猫、欲しいとおっしゃっていた日の丸の旗まであった。

北アイルランド人ご夫妻の日本旅行は地震のずいぶん前から決まっていたことで、友達は一時期、キャンセルした方がいいんじゃないかとずいぶん心配したけれど、ご夫妻は、あなたが大丈夫なら大丈夫だから行くと、おっしゃった。私たちには不安はない。なぜならば神様が守ってくださるから。できるだけたくさんの人に会って、落ち込んでいる人がいたら励ましたい、と。ご夫妻は熱心なカトリック教徒である。1週間ほど前に初めてお会いして夕食をごいっしょしたとき、60年代70年代カトリック対プロテスタント紛争のお話も、少し聞いた。日本は今たいへんなときだけど、私たちにも辛いときがあったのよ、と。

浅草の後は銀座に移動してウィンドウ・ショッピング。有楽町駅近くのデパートは夜9時近くなっても煌々と明るく、店員は満面の笑みで接客し、買い物をしてプレゼント用だと言えば綺麗にラッピングしてくれて人数分の手提げ袋まで付けてくれる。東京というところは、ほんとうにたーーーくさんの品物が狭いスペースにびっしりと置かれていて、短時間で買い物をするには良い場所だなあと思う。彼らの目にはどんな風に映っただろう。地震と津波で大怪我をした東北沿岸も、取り返しのつかない事故が起こってこれから長い時間かけて痛む福島の原発周辺も、ものがあふれる東京も、全部私たち日本人の体の一部。